小さい頃は、金木犀の香りが嫌いだった。香りそのものが嫌というより、あの主張の激しさが嫌だった。わざとらしくて奥ゆかしさのかけらもないそれは、自分の中にある花のイメージとかけ離れていた。
ところが、年をとるごとに、金木犀に対する否定的な感情は薄らいでいった。単純に幼少期よりも嗅覚が鈍くなったからだとも考えられるが、理由はそれだけではない。
大人になり、会社を辞めてからは特に、季節の行事と縁遠くなった。昔と比べ、春や秋の期間が短く感じられるようになってからは、季節のうつり変わりを落ち着いて肌で味わうことも少なくなった。そんなとき、動植物に疎い自分にとって、金木犀が香ることは季節を感じられる数少ない事象のひとつだと気づいた。秋の訪れと金木犀の香りが結びついたとき、無視できない馥郁とした香りにありがたみを感じた。
年をとってからの味覚の変化は数知れないが、香りに対する感情がこうも変わるとは驚いた。意識したことはなかったが、音や手触りに関する印象も、幼少期から変化したものがあるかもしれない。